猫の額の中は小さい

01 31, 2010
猫「ねえねえ」
私「今、ごはん食べてるからちょっと待って」
猫「遊びたい気分なんだもんかまってよ。それ、牛乳?」
私「食卓の上に乗っちゃだめでしょ」
猫「くんくん。うえー。その牛乳なんか変」
私「変じゃないよ。低脂肪乳っていうんだよ。それより、食卓に鼻先突っ込んだりしちゃいけません」
(ぺちん。猫の額を、指の先が触れるくらいの感覚で、軽くはたいた)
猫「あ、ぶった」
私「ぶたれるようなことしたんでしょ」
猫「ぶったー」(ぴゅっといなくなる)
私「やれやれ。ようやく静かになった」


(しばらく経過。視線を感じるので目をやると、猫が見上げていた)

猫「さっき、ぶった……よね?」
私「なんだよその疑念に満ちた顔は。おまえ、脳みそ小さいんだから、そんなことに記憶力無駄に使わないの!!」


(またしばらく経過)


猫「ねえねえ」
私「なに? 遊ぶかい」

夢を見た

01 29, 2010
キーボードをタイプしていたら、ファンクションキーのあたりで違和感を覚えた。見てみると、F6キーまでは普通にあるが、F7〜F12キーがあるはずの場所は動画の再生ボタンみたいな三角が書かれた台形のキーが置いてあるのだ。携帯のキーのように目的の機能を呼び出すまで連打する仕組みらしい。


なんじゃこりゃ、というところで目が覚めた。

Yes! トマリギ

01 25, 2010
窓辺にエアロバイクがある。美容と健康をかねて置いた。そこそこの稼働率だ。
エアロバイクのサドルはそれほど座り心地よくできてはいない。安全に運動できれば十分、という作りだ。
最近気がついたのだが、人間がエアロバイクを使っていない時に、ネコがサドルに座っている。さも得意げに。


ネコだけに、大人げないバランス感覚で悠然と。

苦労の比較

01 22, 2010
何か重い病気をしている人は、世の中からねぎらわれているだうか?
「治療に専念して下さいね。必要なものがあれば言って下さい。お金のことは心配しないで下さい」
と、国が言っているのを見たことがない。


会社を経営する苦労、勤める苦労、苦労は様々だけど、自己の病気を管理する「苦労」も並大抵ではない。苦労の比較ができたらいいのに。
苦労をねぎらうのではなくて、生産した何かに対して、購入者が対価を支払う仕組みになっている。仮に苦労の比較ができたところで、「売ったり買ったり」が難しい「闘病体験」に対価が支払われるのは難しい。


ここまで考えてふと思った。今はどうか分からないけれど、過去、宗教・信仰というものが、「苦労」に対して、その団体として「対価」を支払ったのかもしれない。対価は現金ではなく、企業内通貨かもしれないし、「ねぎらい・共感・支持」等の精神的なものかもしれない。


一人で背負うしかない事柄に対して、宗教・信仰を生きた人たちは、「よりそうやり方」を蓄積しているはずだ。超人ではない凡人が、安心して暮らすノウハウに応用できるかもしれない。


敬意を払われても共感されても理解されても苦しみは減らないけれど、放っておかれるよりずっと、苦労する人の「生存率」が上がるように思うんだ。

エコ

01 13, 2010
「デイライト運動」って言葉を見かけて、エコはどうしたと思った。デイライト運動で事故を防ぐことができれば、結果的にエコなのかと一人納得した。


地球に頼まれてエコをやってる人に会ったことがない。エコを実現させようとするのも、成果物から恩恵を受けるのも人が中心だ。エコという言葉が、「人や動物が住みやすい環境を破壊せずできるだけ保ちましょう」という意味だとすると、人が中心になってもおかしくはない。


地球が駄目になったら、テラフォーミングなりなんなりして人は自分が生きやすい環境作りを続けるだろう。
人が駄目になったら、地球は次の「環境の破壊者」が登場するまでの間、時間をかけて緑で人の痕跡を消すだろう。


デイライト運動にしろエコにしろ、僕らはキャッチコピーが無いとうまくやれないのかもしれない。身近なエコが、テラフォーミングの下準備のような気がしてきた。困った。

無理な注文

01 13, 2010
○「なんとかかんとかで、ほにゃららかんにゃらなんだよ」
×「えっと、ほにゃららはかんにゃらに含まないと思う」
○「いいじゃん。右から東へ聞き流せよ」
×「ひがし?」


なぜに東。右と東が一致した時なんて、どうしたらいいの……。

切り株

01 02, 2010
年末まで賑やかだったのに、お正月になった途端町が静かになった。子供の頃、買い物や駅へ出るのに使った道を、久しぶりに散歩してみた。道路が舗装されて綺麗になっていた。お正月を迎えるにあたり、掃除されたのかこざっぱりしていた。子供の頃、茂みがあった場所が、見通しよくなっていてすっきりしたなと感じた。


ふと見ると、切り株があった。そういえば、子供の頃、大人が一抱えしても余るような大きな木がここに立っていた気がする。その木が無くなってせいせいしたわけじゃないのだけど、見通しがよくなった・すっきりしたと思った後に、切り株に気づいて罪悪感を抱いた。


今年切られたのではなく、もう何年も前に伐採されたことを思い出して、より苦い気持ちになった。
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Author:どんジレ

重度の猫好き。読み書き好き。09年11月スタートの、にわかマカー。
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